一年で一番長い日 79、80「彼・・・あなたの弟さんと初めて会ったのは、まだ十六の時。父に追い出され、夏子に拾われてすぐくらいだったかしら」夏樹が芙蓉の膝からするっと降りて、積み木の前に座った。木のブロックで何やら作りながら、ハンカチうさぎをまだ大切に持っているのが可愛い。芙蓉はそれをやさしい目で見ていた。 「夜、おつかいに出て店に帰る途中、酔っ払いに絡まれちゃって。女装してたからよけいよね」 今は美女なんだから、当時は美少女だっただろう。俺は思った。それで夜の盛り場を歩いたりしたら・・・そりゃあ危ないわな。 「あまりしつこかったし、あちこちベタベタ触ろうとしてきたから、投げ飛ばしちゃった。男に触られてもうれしくないし」 「・・・」 俺はなんとか頭の中の何かのラグを修正した。こう見えて・・・芙蓉は男だった。つい忘れそうになるが。う、うーむ、ややこしい。 「彼は女の子が絡まれてると思って、助けに来てくれたみたい。でもその前に当の<女の子>が大の男を投げ飛ばしたものだから、すごくびっくりしてたわ。失礼しちゃう」 「柔道、合気道、空手の段持ちだもんね、芙蓉。でも、誰でも驚くと思うよ、普通。絶対そうは見えないもの」 葵が苦笑する。俺も心の中で激しく頷いていた。 この目の前のたおやかな美女が、柔道、合気道、空手の段持ち、黒帯。・・・人は見かけによらない。いや、本当に。 「必要に迫られて習ったのよ。男はみんなオオカミってホントよ」 「君も、その、<男>だよね?」 恐る恐る、訊ねてしまう。趣味で女装してるけど、性嗜好はノーマルでストレートでノンケ(?)って言ってたよな、確か。 「ええ、あたしは男よ。でも、誰彼かまわずオオカミになるわけじゃないわよ?」 嫣然と微笑み、芙蓉は自分の息子を見やる。 俺はぶるっと震えた。なんか、こいつ、怖い、かも・・・ 夏子さん、芙蓉ってどんなガキだったんですか? 俺は顔も知らないひとに聞きたくなった。 「でもまあ、その時は危ないからって彼は店まで送ってくれたのよ。見るからにまだ子供だったから、年を聞かれたりしたけど、『家の手伝いをしてる。店主に会ってもらえれば分かる』って言い張ったしね」 **************************** 彼、店に入って一分くらい固まってたわ、と芙蓉は思い出すように笑った。 「かなりびっくりしたみたい。それはそうでしょうね。女装バーだからほぼ全員が女の格好してるけど、どう見ても男にしか見えない人の方が多いし。一人だけならちょっとゴツい女だな、で済む人も、集まっちゃうとやっぱり違和感だから」 「・・・」 俺は想像してみようとしたが、無理だった。目の前の芙蓉みたいに完璧に女に見えるようなのか、テレビで見たゴツいオカマみたいのか、両極端なのしか浮かんでこない。 「太めの人はいいのよ、ふくよかな女性に見せられるから。筋肉質なマッチョ体型の人が一番嘆いてるわね。女装が似合わないって。あと、毛深い人ね。お手入れが大変」 太め、筋肉、マッチョ? 毛深い? お手入れ? 「人外魔境・・・?」 俺の呟きに、芙蓉は吹き出した。 「彼も同じこと言ったわ。やっぱり兄弟ねぇ!」 「俺もそう思ったけど・・・」 ぽつりと呟いた葵と目が合う。なんとなく笑い合った。力無い笑いの二重奏でよけいに力が抜ける。 「そう言わないで。あの店はみんなの安らぎなんだから」 「安らぎ・・・?」 「普段、常識の名の下に押し込めてる<本当の自分>を解放できる、唯一の場所なのよ。ふわっとしたスカートやふりふりレースのブラウス、花柄のワンピースを身に着けたいっていう男性もこの世の中にはいるの。でも、外でそんな格好で歩いたら変態扱いでしょ?」 「う、うーん」 俺は唸る。もし、近所のパン屋のオヤジみたいな中年太りの男が女装して街を歩いてたるのを見たら・・・ま、俺は見ないふりをすると思う。でも中には芙蓉の言うように罵ったりする奴だっているだろう。 「彼は、店内だけなら公序良俗を乱すわけではないからいいだろう、って言ってたわよ」 ちょっと額に汗かいてたけどね、と芙蓉は苦笑した。 「男もいろいろなのよ。特に性的にストレート、ノンケの男はこういう時、行く場所が無いの。ただ女の服を着たい。それだけなんだけど、独り暮らしならともかく、妻子がいたり家族がいたりすると着られないでしょ? そういう人にとっては、抑圧された日常生活から開放されるオアシスなのよ」 サンクチュアリよ、と芙蓉は付け足した。 次のページ 前のページ |